菅総理大臣~若い頃は苦労人・意外な学歴や経歴【昔の画像あり】

生活
スポンサーリンク

こんにちは。

Jewelです。

 

総理大臣(首相)となった菅義偉官房長官ですが、名前の読み方が分からない方も多いですよね笑

菅義偉(すが よしひで)さんです。

「令和おじさん」として認知が上がり、昨今ではコロナ会見で見ることも多いですが、若い頃は苦労人で経歴や学歴も意外にいまどきの国会議員ぽくなく、興味深い方です。

 

また、ニューオータニの3000円のパンケーキ好きだったり、かわいいおじさん(いやおじいちゃん?)として人気な一面もあったりするんですね。

 

今回は、安倍さんの後継者、菅総理大臣(首相)の若い頃の苦労人話や経歴や学歴について書いていきたいと思います。

 

スポンサーリンク

菅義偉総理大臣(首相)、若い頃は苦労人、経歴や学歴が意外!

 

  •  名前:菅 義偉(すが よしひで)
  • 生年月日:1948年12月6日(現在71歳)
  • 出身地:秋田県雄勝郡雄勝町(現:秋田県湯沢市)
  • 中学校:雄勝(おがち)町立秋ノ宮中学校
  • 高校:秋田県立湯沢高等学校
  • 大学:法政大学第二部法学部政治学科卒
  • 家族:妻・息子3人
  • 身長:不明

 

菅総理大臣(首相)の生い立ち

菅総理大臣(首相)は農家を営む、父、母、姉2人、弟1人の家族の長男として生まれます。

安倍さんや麻生さんなどとは違い、そもそも家族に政治家がいない珍しいケースですね。

ガチガチの政治家一族がそのまま代々親の地盤を引き継いで政治家になる息子が多い中では、まったく政治に縁のないご家族のもとで育っています。

 

お父様は「秋の宮いちご」といういちごのブランド化に成功して、秋の宮いちご生産出荷組合組合長や、雄勝町議会議員、湯沢市いちご生産集出荷組合組合長などを歴任しています。

また、お母様や叔母様は元教員だったようで、菅総理大臣(首相)のお姉さま二人も教員になられているようです。

 

「両親は働き者で、わたしが起きたころに畑から帰ってくる。」
というほどで、も農作業の手伝いをしていたようですね。

 

そして中学生時代は、野球部に所属し、守備はサード、1番打者でした。

 

菅義偉 中学時代

菅官房長官のクリっとした目とか、まだ面影がありますね!

 

そして高校は自宅から一番近い高校に進学したにもかかわらず、片道2時間もかかったそうです。

2時間もかかると野球部は続けられませんでした。

近所の中学の同級生も120人中30人しか高校に進学しなかったくらい、高校への進学の道もハードだったようですね。

高校時代の成績は優秀で、進学組に属していたそうです。

 

 

その後、菅総理大臣(首相)は農家も継がず、教師にだけはなりたくないと思っていたようで、「東京に行ったら何かが変わるかもしれない」という夢を抱き、

高校卒業後に集団就職で上京しました。

 

集団就職は、かつて日本で行われていた雇用の一形態で、地方の新規中等教育機関卒者(中学・高校卒)が大都市の企業や店舗などへ集団で就職する方法で、

これにより、段ボール工場に就職することとなります。

 

菅総理大臣(首相)の学歴

しかしながら、段ボール工場で働いてみて、現実が何も変わらないと気付いたそう。

東京で好きなことをやろうと思っていた菅官房長官は、現実を思い知らされ、どこか大学に入らなければと奮起したようです。

 

そして菅官房長官は意を決して段ボール会社を辞め、大学に入学するまでに2年間、築地で台車運びのアルバイトをするなど働きながら学費を貯め、見事法政大学に合格しました。

法政大学のなかでも第二部に入学しており、一部ではなく夜間(二部)という事で偏差値もそれほど高くない、50前後といったところでしょうか。

法政大学を選んだ理由は、学費が一番安かったからだそうですね。

 

もちろん、入学してからも学費や生活費を稼ぐため、4年間にわたってガードマンや新聞社の雑用、カレー屋様々なアルバイト生活を続けていますから、

夜間の方が都合がよかったのかもしれません。

ここまでくるとなかなかの苦労人ですね。

 

※実は一部のうわさでは菅総理大臣(首相)の農家の実家は裕福で、単純に大学入試に受からず浪人して何とか法政大学の第二部に合格したんだけど、

それではカッコがつかないから、苦学生だったストーリーを作ってるという説もあります。

確かに高校時代「進学組」であったなら、就職せず大学に行っても良さそうですが。。。

 

 

とはいえ、入学前の2年間と入学してからの4年間の計6年間も働きながら勉強するのは並大抵の努力ではありません!

そんなアルバイトと勉強で大変な中、苦しい生活だったからこそ自分を徹底的に鍛え、自分を律するためにと空手部にも入部しています。

 


一番右が菅官房長官

 


左上が菅官房長官

 

この経験は、鍛錬の場として今後もストイックに政治家を目指す菅総理大臣(首相)を支えたのかもしれませんね。

学生時代から世の中を変えたいという想いで政治家を目指していたそうです。

苦労したからこそ、国を変えたいという想いもあったのでしょうか。

 

 

ちなみに総理大臣や内閣閣僚の学歴論はやや難しいところがありますよね。

昔は国公立大学卒業者が当たりまえの時代、総理大臣はもちろん内閣に東大卒がゴロゴロなんて時代もありましたが、

今では安倍さんが成蹊大学、麻生さんが学習院大学出身ともなれば、特段学歴重視である必要もなく、政策や実行力の方が大事ですからね。

 

ただ、イメージで政治家=高学歴と思っていると菅総理大臣(首相)ももれなく外れてきます。

確かに安倍さんが総理大臣になった際も、国家の党首の学歴が成蹊大学でいいのかなんて声も一部ちらほらありましたから。

 

菅官房長官の経歴

そして、1973年大学を卒業した菅総理大臣(首相)は、建電設備株式会社(現:株式会社ケーネス)に就職します。

ケーネスは現在は電気・通信・情報等、幅広い分野の最先端の技術を扱う会社です。

 

しかし、やはり「世の中を動かしているのは政治だ、人生をかけてみたい」という想いから、政治の道を目指し始めます。

1975年、菅総理大臣(首相)が27歳の時に、第57代衆議院議長中村梅吉秘書の紹介により衆議院議員小此木彦三郎氏の秘書となり、11年間務めたのが政界へ進む第一歩となりました。

第57代衆議院議長中村梅吉秘書の方は法政大学学生課でOBを通じての紹介だったようですね。

 

政治との縁がゼロからのスタートですから、若い頃は政治家を目指すには本当に苦労されたと思われます。

 

衆議院の秘書を11年務められて既に38歳。

小泉進次郎さんは38歳ですでに内閣入りして環境大臣ですからね。

やっぱりベースが政治家の家系だと進みも違うんでしょうか!

 

そして、1987年の39歳には横浜市会議員選挙に出馬し、初当選、市議を2期務めました。

なぜ秋田出身の菅さんが横浜?となりますが、実は秘書をしていた衆議院議員小此木彦三郎氏が横浜市政に大きな影響力を持っていたんですね。

なので、小此木彦三郎氏の死後には「影の横浜市長」と言われるくらい、菅総理大臣(首相)は横浜に力を持っているんですね。

 

この時の横浜市議当選の裏話には

菅は、ひとりで西区の家を一軒一軒まわり始めました。一日300軒、4月の選挙前までに3万軒をまわり、6足の靴がダメになりました。ある日、菅が行った家は、別の候補者を支持する家だったそうですが、彼の靴を見て、なんでそんなボロボロの靴を履いているのか聞いたそうです。そして、事情を知った家の人は「これだけの苦労をしてるのだから、菅さんは、必ず当選するよ」と言われたそうです。

お昼に蕎麦屋に入った時、菅は一度倒れました。一緒にいた人が休んだ方がいいと言ったら、菅は、平気ですと言って、また一軒一軒、家をまわったそうです。

引用元:元小此木事務所秘書 橋本昇さん談

 

という裏話があるほど。

まあ、そんな時代もあったのかもしれませんが、今の街頭演説のような選挙活動と菅総理大臣(首相)の努力は比べモノにならないですね。

 

 

そしてついに、1996年48歳の時に第41回衆議院議員総選挙に自民党公認で出馬し初当選し、晴れて国政に進出となったわけです。

 

遅いスタートではありますが、菅総理大臣(首相)の座右の銘「意志あれば道あり」そのものを示しているかのようですね!

 

菅義偉官房長官の身長は?自宅は横浜で若い頃や法政大学時代の逸話 ...

 

国会議員になられたころの画像ですね。

髪型も色がグレーになっただけであまり変わりがないですね!

 

安倍内閣のもとでは、内閣官房長官(第79代・第80代・第81代)、沖縄基地負担軽減担当大臣、拉致問題担当大臣を担当し、

安倍さんが自分が掲げた政策を進める上では切っても切れない大役を務め続けました。

 

 

>>こんな菅総理大臣(首相)を30年支えられている奥様の真理子夫人に関する記事はこちら
菅総理大臣の嫁(妻)の真理子夫人【画像有】はどんな女性?夫婦仲等

 

 

 

菅総理大臣(首相)に対するネットの声

 

 

 

 

なんとですね、若そうな方たちの支持は相当高いようですね。

理由は「かわいいから」といったものですがそういうのも、国民が政治に対して興味を持つようになる観点からするとありなのかもしれません。

 

 

 

 

次の総理大臣として、石破さんに何度も刺されている安倍さんからすると(人気も負けている)なんとしても石破さんが次の座になるのを阻止したいための

役目である菅官房長官としてみる方もいますね。

 

 

>>自民党内で石破さんの評価が低い本当の理由はこちら
石破茂が自民党内で評価が低いのはなぜ?【離党して裏切った過去】

 

>>石破さん阻止のための今回の緊急自民党総裁選挙の記事はこちら(両議院総会)
次期総理大臣の決め方~自民党総裁選挙の仕組みを分かりやすく解説

 

 

 

 

 

過去の経歴を知っていて、菅総理大臣(首相)として意外とありなのでは?と考える方もいますね。

 

 

 

 

 

桜の会での反社とのかかわりを指摘されたこともありましたけど煮詰まらない回答だったので、こういった点から厳しく見ている方も当然いますね。

 

菅総理大臣(首相)~若い頃や学歴や経歴まとめ

  • 若い頃は学費や生活費を稼ぐために数々のバイトをこなし、勉強も両立
  • 大学時代は空手部に入り自分を律する生活を送っていた
  • 学歴は法政大学第二部法学部政治学科卒
  • 政治家を目指すにも縁がなかったことからOBを紹介してもらい秘書からスタート
  • 11年秘書をして横浜市議に当選
  • 48歳で初めて国会議員(衆議院議員)となる
  • 安倍内閣では官房長官も長く務め、安倍さんの女房役として活躍

 

政治家との縁がないところから政治を目指すのはなかなか苦労も多かったのではないかと思います。

若い頃から自分で稼ぎ、自分を追い詰めていくストイックなスタイルが政治への道につながったのかもしれません。

次期総理候補として名高いですが、世襲制が強い日本の政治で0から築きあげた菅官房長官が総理大臣になったらかなり注目度は高いですね。

 

 

 

 

 

 

生活
スポンサーリンク
Jewelをフォローする
スポンサーリンク
旅プロJewelの「理想のライフスタイル」のススメ

コメント

  1. […] >>菅官房長官に関する詳しい記事はこちら 菅義偉官房長官~若い頃は苦労人・意外な学歴や経歴【昔の画像あり】 […]

  2. […] >>菅官房長官の苦労時代や意外な経歴はこちら 菅官房長官~若い頃は苦労人・意外な学歴や経歴【昔の画像あり】 […]

  3. […] >>菅官房長官の詳しい経歴はこちら 菅官房長官~若い頃は苦労人・意外な学歴や経歴【昔の画像あり】 […]

タイトルとURLをコピーしました