こんにちは。
Jewelです。
ニュースでよく見かける、中国と香港の関係、香港女性の周庭さんの逮捕、中国の香港国家安全維持法の施行など、
そのすべてに、「一国二制度」という言葉がからんできますよね。
今回は、中国と香港の「一国二制度」とは何かを簡単にわかりやすく解説していきたいと思いますが、
そもそも日本ではもちろん世界でもなじみがない言葉ではあると思うので「どういうこと?」と思っている方も多いのではないでしょうか。
例えば日本人は、「日本」という一つの国の中で北海道から沖縄、全都道府県、島にいたるまで、「日本」が決めた同じ法律、同じ制度のもと生活していますよね。
北海道であった犯罪も、沖縄であった犯罪も同じ日本の法律が適用されて裁かれます。
法律によって全日本国民は守られ、平等な自由な権利も持っています。
「一国二制度」は、一つの国の中に、二つの異なる制度が存在する、という意味になります。
つまり、香港は中国にありながら、中国とは全く違う制度が適用されているのです。
それでは、中国と香港における一国二制度とはどのようなものなのか、なぜそうなったのか、そして現在どうなっているのかなどを解説していきたいと思います。
一国二制度とはわかりやすく解説【中国と香港の関係】
そもそもですが、
現在香港は一つの国ではなく、中国と香港は同じ国、つまりは香港は中国です。
旅行する際には、基本どこかの都市に行くので「国」をあまり意識していないかもしれませんが、香港に行く場合、実際は「中国の香港」に行っているわけですね。
北京や上海などの中国の別の都市に遊びに行くこともあるかと思いますが、香港に遊びに行くことも事実上は北京や上海と同じく、中国に遊びに行っているのです。
それではなぜ、香港だけ中国の他の都市とは違う、別の制度が取り入れられているのかをひも解くために歴史から振り返ってみましょう。
中国と香港の関係
アヘン戦争とアロー戦争
1800年代、イギリスはアヘンを中国に大量に輸出して、巨万の富を得ていたんですね。
しかしながらアヘンの蔓延に危機感を持った中国が、アヘンの全面輸入禁止、さらにはイギリス商人たちのアヘンを没収して焼却したため、イギリスとの間で戦争が始まったわけです。
これがアヘン戦争ですね。1840年に始まった戦争です。
この戦争は、イギリスが1842年に勝利をおさめ、終結のあかしとしてイギリスと中国の間で南京条約が結ばれることとなりました。
その際、まず香港島が中国からイギリスに渡り、イギリスの永久領土となったわけです。
地図の下の島部分ですね。
その後、1856年、アロー号事件をきっかけにイギリス・フランスの連合軍と中国の間で戦争が勃発し、中国は再度敗戦することになります。
その終結の際結ばれたのが、北京条約で香港島の上の部分、九龍半島もイギリスに渡すことになったんですね。
地図の大陸側、香港島の上の部分です。
つまり、二度にわたるイギリスとの戦争の敗戦により、中国は現在の「香港」とされる地域をイギリスに割譲し、香港はイギリスの領土となったのです。
香港返還
1997年に香港はイギリスから中国に返還されたわけですが、
ということは、
今から20年近く前までの200年以上、香港はイギリスの領土でイギリスに統治されていたわけです。
つまり、香港市民はイギリスの法律に基づき、イギリスの制度に従って生活していたわけですね。
しかしながら、
イギリスの永久領土である香港島や九龍半島の返還を求める、猛烈な中国の要求により、
1984年12月19日、両国が署名した英中共同声明が発表され、イギリスは1997年7月1日に香港の主権を中華人民共和国に返還すると決まりました。
そこで、1997年の7月から香港は中国となったわけです。
独立した「香港」という一国でもありません。
ただ、この英中共同声明のなかで、香港に関する重要な約束がありました。
一国二制度
香港が中国に返還されるにあたり、
中国は一国二制度をもとに、中国の社会主義を香港で実施せず、香港の資本主義の制度を50年間維持することを約束したんですね。
香港は中国に返還される前までは、イギリスの制度や法律に従って生活してきたわけですから、資本主義や民主主義の恩恵を受けていたわけです。
反対に中国は、社会主義で共産党の独裁国家なので、返還されたとたん、香港市民は生活が真逆になるわけですね。
これまでの香港
- 資本主義:人や企業が自由に経済活動を行える
- 民主主義:権力を国民が持ち、行使できる(国民に主権がある)個人の自由の尊重
中国の制度
- 社会主義:富を平等に分配するためにその生産手段を社会のものにする(計画経済)
- 独裁国家:一個人、少数者または一党派が絶対的な政治権力を独占
上記を比較するとわかるように、香港市民にとっては中国に返還されてしまうと、生活様式が一変してしまい、戸惑うのは一目瞭然ですよね。
そこで、返還から50年間は、香港を特別行政区として、
香港は社会主義国の中国の中にありつつも、外交と防衛以外は「香港は独自の政府を持ち、資本主義や司法の独立などが保証されている」ことを約束したわけです。
50年の間で徐々に慣らせていこうということですね。
2047年まで、外交と防衛以外、香港は中国とは異なる他の民主主義国家と同様、言論の自由や集会の自由、報道の自由なども認められているわけです。
上記理由から、中国と香港は同じ国、一国でありながら二つの制度を持っているので「一国二制度」とよばれているのです。
一国二制度が崩壊?香港国家安全維持法の施行
2020年現在は、当然ながらまだ香港は特別行政区として、資本主義、民主主義の下、香港独自の自治権をもち、個人の自由に規制はありません。
もちろん、法を犯してはダメですが。
ただ、実際に本当に一国二制度が守られているのでしょうか。
香港の資本主義や民主主義は守られているのでしょうか。
雨傘運動や2019年の香港デモ
雨傘運動
香港市民が、民主的な選挙を求めて抗議活動を行ったのが雨傘運動です。
日本もそうですが、様々な思考を持つ政党があるので、自分が支持する政党や候補者に投票し、国民の多数決で選ばれた政党の中から総理大臣が決まりますよね。
これがいわゆる民主的な選挙です。
国民は様々な思考を持つ政党から自分が支持する政党や候補者を選んで投票できます。
しかしながら、香港の特別行政長官を選ぶ選挙の候補者は、そもそも中国政府が認定した「指名委員」の過半数の支持を受けた人に絞られていたわけです。
要するに、選挙に出馬している人が中国政府の意にそった候補者しかいないわけです。
これは、民主主義に違反していますよね。本来であれば中国政府の意に沿っていない候補者もいなければ民主的な選挙とは言えません。
一国二制度が守られていないですね。。。
2019年からの大規模デモ
2019年から始まった大規模デモは香港政府がだした「逃亡犯条例改正案」が発端となっています。
逃亡犯条例というのは、
香港以外の国や地域で罪を犯した容疑者がいる場合、犯罪が起きたその国や地域の要請に応じて身柄を引き渡せるよう定めた条例です。
つまり、アメリカで罪を犯した香港人が香港に戻ってきてしまっても、アメリカに犯人を引き渡してアメリカの法律で裁くことができますし、
香港でアメリカ人が罪を犯し、アメリカに戻ってしまっても香港に引き渡して香港の法律で裁くことができるわけですね。
香港はこの逃亡犯条例、中国とは結んでおらず、アメリカや韓国など20ヵ国と結んでいます。
そんな中、香港政府は逃亡犯条例を改正するとして、
犯罪者の身柄引き渡しを簡略化して、引き渡し協定を結んでいない国からの要請でも容疑者を引き渡せるようにする
と発表しました。
これは何を意味するかというと、中国と香港はそもそも法制度が異なるため、引き渡し協定を結んでいないのにもかかわらず、
香港市民を中国の法制度で裁けるようにしてしまうということです。
つまり、民主主義のもと定めている香港の法律とは異なる中国の法律で香港市民を裁かれてしまう、香港市民も中国当局の取り締まり対象になる恐れがあるわけですね。
香港は言論の自由が認められていますが、中国批判した言論をした場合、中国から政治犯として認められ、香港から中国へ身柄を引き渡される可能性もあります。
これでは、一国二制度の意味がなくなっていますね。。。
>>逃亡犯条例に関する詳しい記事はこちら↓↓↓
逃亡犯条例とはわかりやすく解説【改正がなぜ問題?中国香港の関係】
国家安全維持法の施行
そしてついに事実上、香港の国家安全維持法が中国により施行され、事実上の一国二制度は崩壊したような状態となってしまったわけですね。
というのも、この国家安全維持法の内容は
1.「国家からの離脱、転覆行為、テロリズム、香港に介入する外国勢力との結託」の4つを犯罪行為と定める。
2.国家安全維持法に違反すると最低3年、最高で無期懲役
3.香港の法律と矛盾する場合は国家安全維持法が優先される
4.裁判は非公開でおこなう可能性がある
5.中国政府は香港に国家安全オフィス(NSO)を設立する
6.中国が深刻とみなせば、海外にいる香港非居住者も対象となる可能性がある
7.香港警察内に新たに国家安全保障部を設立し、警察に多様な権力を与える
8.香港の行政長官は裁判官を任命できるが、国家安全を危険にさらす発言をした裁判官は任命されない
9.行政長官を代表とする新たな国家安全保障委員会を設立
10.香港政府は、学校、メディア、インターネットなどで市民への教育を要求する引用元:香港BS HP
今までの香港の法制度からしたら非常に厳しいものとなります。
例えばテロリズムの認識が、言論の自由や報道の自由に厳しい中国からすると、中国中央政府を批判した文書を書いただけで、最低3年、最高で無期懲役になる可能性があるわけです。
また、裁判が非公開で行われる、警察に多様な権力が与えられる、、、
教育や報道まで自由を奪うような内容まで。。。
いわば、民主主義の国や香港では当たり前に認められていることが、中国のさじ加減で違法とされてしまう可能性が出てきたわけですね。
この国家安全維持法の施行により、一国二制度はほとんど崩壊したとみなされています。
>>なぜ香港の法律を中国が決めて施行できたのかをまとめた記事はこちら↓↓↓
香港の国家安全法とは?分かりやすく解説~中国が決める理由
中国と香港の一国二制度まとめ
本来であれば、社会主義の中国の中にある香港は、2047年まで特別行政区として資本主義、民主主義の制度が認められる一国二制度でした。
しかしながら昨今の中国の動きからすると、徐々に香港の民主化や自由を奪い始め、一国二制度の崩壊が始まっています。
2047年まで30年近くあるなかで、本当に国家安全維持法の施行も今必要だったのか難しいところですね。
コメント
[…] これは、一国二制度で、民主的な選挙を行える立場にある香港市民の反発を招く形となり、大規模なデモに発展することにつながりましたし、 […]
[…] >>中国と香港の一国二制度を分かりやすく解説 一国二制度とはわかりやすく解説~中国と香港の関係や国家安全維持法 […]